かけがえのないぼくの家庭

個人日誌 エッセイ

これはあるひとつの家族の、ささやかな幸せと、心の問題に向かって奮闘した、10年にわたるノンフィクション、

つまり実際にあった出来事のご紹介となります・・・。

これを読んでいただいた方々が、どうか、かけがえのない家族をや家庭というものの素晴らしさ、温かさを、再認識して頂ければ幸いです。

2010年春、日本国内のとある地方都市で、一組の夫婦が誕生しました。

新郎は工場に勤務する会社員、新婦は事務職を退職後は家庭に入り、新郎を支えていくことになっていきます。

二人は仲むつまじく、時には意見をぶつけ合いながらも、いろんなとこに旅行に行き、ともにたくさんの素晴らしい思い出積み重ねながら、お互いを愛する気持ちを大切にしながら、日々を過ごしていきました。

不妊治療が必要ではありましたが、
二人の間にはついに待望のかわいい女の子が誕生しました。

この日から、初めての子育てに戸惑いながらも、夫婦で協力しあい、困難を乗り越えていきます。

しかしこの頃、そんな幸せな家庭に、事態が急変する出来事が起こったのです。

かねてから職場での人間関係に悩んでいた夫が、心身ともに限界をきたし倒れて救急搬送される事態となったのです。

2013年3月9日のことでした。

総合病院での受診で、夫の身体は胃潰瘍、十二支腸潰瘍におかされ、精神は「うつ病」を発症させている状態と診断されることなり、そのまま休職して心身の回復を優先させるように医師に勧められました。

夫はやむなく、会社は無期限の休職を願い出て、治療に専念することを余儀なくされたのです。

しかしながら、この頃の夫は「うつ病」特有の激しい気分障害に悩まされるようになり、性格と言動は荒れ、最愛である妻子に対しても思いやりのある接し方が出来なくなっていきました。

そんなある日のこと、ほんの些細なきっかけから、また夫婦喧嘩が始まり、夫はこともあろうか、赤ちゃんをあやす妻に向かい「この家から出て行け!!」と怒鳴りつけ、追い出してしまったのです。

そこから、妻と赤ちゃんは自身の実家に帰り、夫も一人で自立した生活を送ることが困難な状態であったため、夫の実家へと別々に生活していかなければならなくなりました。

「うつ病」発症から約1年少しが過ぎ、

夫は毎日まじめに治療に専念した結果、どうにか復職することに成功しました。

そして説得の後、妻と少し成長した一人娘が、自宅に帰ってきてくれると決意してもらうことができたので、また元の様な親子3人の幸せな家庭生活が再びスタートしたのです。

しかし、それは夫が倒れる以前の、明るい楽しい家庭の雰囲気とは、少し違ったものに変化していました。

夫の様子です。

夫はまだ「うつ病」の気分障害があり、理性で堪えてもう怒鳴ったりはしませんでしたが、常に症状の辛さに耐え続けることに疲れ果て、表情はなくなり、口数も減り、最愛であるはずの妻子に対しても、あたたかい交流関係が持てなくなっていました。

しかも、朝どうしても自分で布団から起き上がることができず、会社を休む日も多くなっていったのです。

そんな中ではありましたが出来る範囲で、
旅行やお花見、買い物や動物園、外食に出掛けるなど、
家族なりの方法で、思い出を共有していきました。

しかしそんな家庭生活も、そう長くは続かなかったのです。

気分障害が悪化した夫が再び倒れ、入院が必要と診断されてしまったのです。

2019年7月のことでした。

3ヶ月後、なんとか退院はできたものの、すぐに自宅で妻子と暮らすとなると、お互いに負担が大きいので、夫は実家で両親と住み、療養しながら復職しました。

退院後も夫の病状が悪い時期がしばらく続いたのですが、ここで大きな転機が訪れます。

会社の上司の紹介で、あるセラピストの先生に出会い、
今までとまったく違ったアプローチでの「うつ病」の治療を受け、
結果的に病気はほぼ完治したのです。

まさに、奇跡のような出来事で、この状態であれば、再び親子3人で幸せに暮らしていけるはずと、夫は確信しました。

みるみるうちに甦ってくる感覚、思考力、行動力、意欲、判断力。

感動できる映画を観て涙を流し、

面白い漫画本を読んで腹から大笑い出来たこと……

緑は美しく空は青く、

ご飯はおいしく感じることができ、

そして妻子をみたときに、
これまで以上に愛おしくかけがえのない存在であることに気づかされ、
夫が一番守っていきたいものだと、

「うつ病」以前の頃から実に8年ぶりに、そう思うことができたのでした。

しかし、夫には一つだけどうしても気がかりな点がありました。

それは、妻からときどきあるどこか冷たい言動のことでした。

これから、3人で円満に暮らしていくために、夫はそのことを妻に相談しました。
すると、その問いかけに対しての回答は、

「8年前に喧嘩して出て行けと言われたときから、私の気持ちはあなたから離れていって、もう取り戻すことは出来ない。」

「何度も離婚を切り出そうとしたこともあったけど、
病気のあなたがその精神的ショックに耐えられるかが心配になり、
とても今まで言い出せなかった。」

「それに一人娘のこともあった。娘はまだ幼く父親が必要だと思ったし、将来にわたり豊かな生活をさせてあげたかったから、その為に私は気持ちを押し殺して、あなたといることにしていたの。」

「本当は私も苦しくて仕方がなかった。」

「でももう、この苦しみから、私を自由にしてほしい……。」

少しあとに夫が答えます。

「そうだっんだね。」
「苦しかったんだね。」

もう少し早く気が付いてあげられたら、こんなに長い間苦しめることもなかったのに、こんなことになってしまい、幸せにしてあげることができなかったこと、本当に申し訳なく思っているよ。」

もう、夫として、男性として見られていなかったとしても、オレは君のことを、今でも心から愛しているからね。」

」これまで、君なりに一生懸命オレを支え続けてくれてきたこと、心から感謝する。本当に、本当に、ありがとうね……。」

妻は、せめて家族最後の思い出にと、この10年の家族の歴史を綴ったアルバムを、一緒に完成させて帰ることを、許してくれました。

その前に、別室で遊んでいた娘に向けて、離婚のことを話していかなければなりません。

後々、心のキズが残らないよう、表現に気を遣いながら、娘の心理状態を見守りながら、優しくゆっくり丁寧に、一つ一つ話していきました。

パパとママはお別れすることになったこと。

今のお友達とはお別れし、転校しないといけないこと。

名字が変わり、ママと二人で生きていくことになること……。

妻は娘に言いました。
「ママと二人で生きていこう…?」

話し終わったとき、娘は数分の間ポカンとした表情をして黙っていたのですが、
そのあと、声を押し殺したようにして、肩を震わせ、泣き始めました。

夫は娘を抱き締め、

「ゴメンね。泣きたいときにいっぱい泣いていいよ。」

「涙が枯れるくらいたくさん泣いていいからね……。」

妻は、言ってくれました。
「知らなかったでしょう?こんなに大きくなって、重たくなっていたんだよ?」
「娘が会いたいと言ったときは、父親として会ってあげてね。」

それからは、食卓に妻の手料理が並び、家族三人の最後の夕食の時間が過ぎていきました。

食事のあと、家族の総集編アルバムをみんなで作っていきました。

暖かみのあるかわいいイメージの、大きなアルバムを三人で囲んで、
結婚生活10年間で撮り貯めた600枚くらいの写真を、一枚一枚貼っていき、シールなどできれいにデコレーションしていきます。

アルバムの中で、結婚式が始まり、やがて二人の生活がスタートして、娘が生まれて、どんどん成長していきます。

そして、色々なところに遊びに出掛け、一緒にとても楽しそうに笑っていて、幸せがそこには確かに息づいています。

どの写真も、いくら、夫の「うつ病」の苦しみ、それに対する妻のぬぐい去ることの出来ない恐怖や苦難があったにしても、
この10年間の「家族の時間」が、
決して”苦しみ”や”悲しみ”ばかりではなかったことを、
優しく教えてくれるのです。

夫はアルバムの上に広がっていく、苦しくも幸せであったこの11年の歳月をしのび、

最愛の妻と我が子とお別れして、別々の道を歩んでいかなければならないことを想い、涙が止まらなくなっていきます。

アルバムを挟んですぐそばに対面に座っている娘に必死で悟られないようにしながら、共同作業を進めていきました。

そんな時間もやがて少しずつ終わりが見え始め……、

……そして、家族の大切な思い出がたくさんつまった3冊の大きなアルバムは完成しました。

少しだけ、三人で団欒の時を過ごしたあと、
夫は立ち上がり、玄関に向かって歩いていきます。

結婚して、娘を授かってからというもの、

うつ状態を抱えながらも家庭を支えるために会社に出掛るこの瞬間は、

夫は毎朝、妻と娘に、

「いってきます。」

「いってらっしゃい!」

とやりとりする日常の朝の、この瞬間だけは、夫の心は心から幸せと誇りに包まれ、満たされていたことを思い出していました。

夫は、娘を抱っこしてギュッと抱き締めます。

娘の肩越しに、妻に向かいもう一度、これまでの感謝を伝えました。

夫は、もう涙をこらえきれそうになく、娘を床に下ろすと、泣き顔を見せないよう、
後ろを向いたまま娘の頭をそっと撫でたあと、玄関の外に立ちました。

2020年3月、
毎朝、会社に向かう夫を、妻と娘が見送ってくれていたとき、
いつも聴いていた玄関のドアがしまる音が、最後にもう一度だけ、

「カチャ……。」

と鳴って、夫と妻と一人娘の、三人の家族のかけがえのない時間が、静かに終わりを向かえたのでした。

ここに出てくる「夫」はもちろんぼく自身なのですが、これからも精一杯生き、守ろうとしたものたちの将来にわたる幸せのために、これからも遠くから守っていく決意を胸に、やるべきことを行い、毎日を送っていけるのです。

あれから2年が経ち、「娘」にとって、たとえ離婚ということがあったとしても、

「私は父親から愛されている。」

と感じることができ、

将来、大切な人と、幸せな家庭を作ることができる女性に成長してもらえるよう、

毎月の一日の交流を欠かしていません。

そして、ぼくが一番苦しかったときに、見捨てずに回復するまで、懸命に看病してきてくれていた「妻」に、

心からの ”感謝” と ”尊敬” の気持ちを表します。

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